5月21日/5月22日
漫画を描いて、明け方の空が深い青のときに奈良公園へ歩いた。運動も兼ねて走りにいった。歩きながら色々考えていた。
おれは、昔から馬鹿なくせに世の中のパッパラパーの漫画が嫌いだった。可愛い女がうだうだ喋る漫画も嫌いだった。友情も絆も嫌いだった。現実にしか興味がなかった。夢の世界に熱狂できなかった。
でもそういうメジャーな作品を馬鹿にして自分の世界に閉じこもる漫画も、もう飽き飽きしていた。皆んな『イメージ』のことばかり話していて『絵』ばかりを評価するが、おれには、『絵以外』のことばかりが気になる。
絵が魅力的なら漫画以外の仕事も来る。だから皆んな自分の絵を創ろうとする。
俺は自分の『絵』を信用していない。『絵』は、一番わかりやすい『芸術っぽさ』を創ることができる。それはやってみると楽しい。ただ、いまいちリアリティを自分は感じなかった。つげ義春のようなリアリティは。
芸術っぽさから頑張って離れたいならば、単純に、既にある『記号』や『コード』をドシドシ導入して漫画を描いていけばいい。つげ義春も記号ばかり使って漫画を描いたが、それはワザと使っていた。自分の絵なんて、最初からあの人の中には無かったはずだ。
そんなことから『自分の絵』よりも『自分の描き方』を見つけたいと思った。
でも絵は練習する。もっと上手くなろうと、変わろうとする志を失った漫画の絵が嫌いだからだ。変わらないモノは嫌いだからだ。
自分の描き方で漫画を描いてる奴は、周りの20代には、ほぼ、いないはずだ。30代にもいないかも知れない。知らないだけで講談社とか集英社とか、大手の青年誌には一部いるかも知れない。自分の描き方がよく分からないのは、メジャーでもサブカルでも、ない気がするからだ。単に周りに馴染めないから「自分はサブカル漫画家ではない」と言いたいところだ。
でも一般人から見れば、完全に『サブカル/オルタナ漫画家』だ。なんといったってデビューがアックスだ。そのジャンルから抜け出たい。
抜け出る方法はひとつで、やはり売れるしかない。
つまり一番、誰よりも売れ線から遠い場所から、売れることを目覚さなければならない。これが出来ると思うか?
まず今の作画ペースでは売れるのは無理だ。さっき俺は芸術が好きだといった。本ももっと読みたいし映画もみたい。町田康さんも村上春樹もスティーブン・キングも、物語を創るには本を読めと言った。本を読めば、時間は足りぬ。漫画は辛い。
おれはまた、敗北者の様な気がしてきた。売れる漫画、『鬼滅の刃』や『進撃の巨人』を描いた作者たち、あいつらは子供の頃からジャンプの漫画を素直に楽しめる才能があった。微塵の懐疑も持たずにメジャー漫画を楽しめる才能があった。
俺には無かった。結局、子供時代に原因があるのだ。侯孝賢のマンゴーは俺にとっては何だったのか。青木雄二かつげ義春か。
結局、周りのすべてに懐疑の目を向けて、自分すら信用しなかった結果、今のみじめな暗い現状に結実したわけだ。
捻くれ者になったわけだ。
いったい、何で素直な楽しい生き方ができないんだ。と思ったら登大路交差点あたりで自分は泣きそうになったが、泣けたら気持ちええときに涙は全く出なかった。
みじめで仕方ない。どいつもこいつもやたらにシバキ回したい気持ちだった。
やったるからな。全員やったるからな。とブツブツ言いながら歩いていた。鹿も何奴だと一目散に逃げてゆく。
春日大社の参道に入ったところで、こんなシバキ回したい気持ちを抱えてたらあかん。神聖な場所やぞ。鎮めるんや。と思った。
周りはもうすっかり明るくなっていて、誰もいなかった。いつもはしていないが鳥居の前でしっかりとお辞儀をした。
参道を歩きながら、どう神様に祈るか考えていた。なによりも自分自身に誓うのだと思った。
御社殿の前まで来て、自分は柏手を打った。
「おれは俗物です。俗物ですが、何とか怠けないようにします。怠けない心の手助けを下さい。面白い漫画を描かせてください。大山海。」
と声に出して言った。神に誓うことで、今後、もし怠けたときにバチが当たるぞ。と自分をビビらせる目的もあった。とにかく面白い漫画を描かせてくれと祈った。俺を舐めてる奴全員をビビらせる漫画を描かせてくれ。俺に頭を下げさした奴全員をビビらせる漫画を描かせてくれ。金のことばかり考えてる奴を一撃で沈める才能をくれ。気取ってカッコつけてる漫画家をぶちのめす才能をくれ。おれを振った女全員を後悔させる漫画を描かせてくれ。日和ってる奴を泣かす漫画を描かせてくれ。読者が全員訳の分からない感動をする漫画を描かせてくれ。おれは何回も祈った。寿命を縮めても良いから面白い漫画を。と祈ろうとしたところで家族の顔が浮かんでやめた。
こんだけ祈ったが周りは相変わらず鳥の囀りだけで、何か徴候のようなモノは聞こえなかったし感じなかった。
自分は春日大社を後にして、浮雲神社、聖明神社、愛宕神社も参拝し、二月堂に登って奈良盆地を見晴らしていたら鐘の音が聞こえた。朝の5時半だった。
家に帰り、まあ今日はもうええやろ。疲れたわ。神様も許してくれるやろ。と酎ハイを飲んで寝ようとしたが、絵の練習をしてなかった事に気づいて慌ててした。