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大山の日記未満

日記等

最近読んだ本・観た映画

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最近読んだ本・観た映画


奈良の古本屋をぐるぐる回って小川国夫『彼の故郷』『青銅時代』磯崎憲一郎の『肝心の子供』『終の住処』を安かったから買った。なぜか奈良は小川国夫の小説が色んな古本屋に散らばっている。まだ読んでない。後藤明生『吉野太夫』も買った。読んでない。装丁が渋かったから、買ってしまった。後藤明生コレクションが刊行されてるから、それ買って読んだらよかったんじゃねと若干後悔をした。去年の暮れから読んでいる小島信夫『別れる理由』3巻が読み終わりかけ、なので難波ジュンク堂で水声社から出てる九千円くらいの余りにクソ高額な分厚い本の(なぜ小島信夫の小説全集はこんなに高い)誰だったか名前を忘れた人のあとがきを立ち読みしたら、その年の文学史上の事故と書かれてた。傑作ではないとも書かれてもいた。三冊まとめて買えば何万もする本の、文庫本六冊分の大長編のあとがきには『小島信夫の傑作ではない』と書かれている。そんなような本は読んでいて、面白いけど疲れる。本当に読んでいて何にも頭に残らない。登場人物や作者がダラダラとどうでもいい自意識を語りまくるが、瞬時に忘れる。最初は集中してたけど長すぎてどうでも良くなる。おれは文字を目で追うだけのマシーンと化すぜ。実家で、中原昌也の『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』『名もなき孤児たちの墓』を再読も兼ねて読む。小島信夫よりは、そら、面白い。amazonで買った、家に『顰蹙文学カフェ』という本が届いたはずだが、実家にいるので読めない。次から次へ買ってしまう。もう癖だ。ジュンク堂で買ってきた『古井由吉自選作品集1』を読む。『よう子・つまごみ』←漢字がすぐに出てこない。をハードカバーで再読したがすぐに腕が疲れて、元々持ってた文庫で読みだす。ちゃんとまとまな小説を読んだようなホッとする安心感。実家で読む実家の様な安心。この本と一緒に買った『ロバート・アルトマン即興性のパラドックス』どちらも三千円ごえの高額な本だった。ロバート・アルトマンを語るとき、みんなあんまり上手く語れないらしく、アルトマンのドキュメンタリーで、ブルース・ウィリスがアルトマンらしさとは? と訊かれ「くたばれ!ハリウッド」と言っていたが、どこがどういいのかハッキリ分かっていないような、金玉のような顔をして宙空を見つめていた。アメリカ人にもどこがいいのかハッキリ分かりにくい作風らしくて、そこが魅力かも知れぬ。個人的にはよくこんな、モッサくて、ダラダラしてるのに、賞をばんばんとれるなと尊敬する。正直『ナッシュビル』とかダラダラとカントリーソングのシーンが長いしおもろないと思ってるけど『ショートカッツ』は好きでキャスティングも演技もいい。『マッシュ』『ザ・プレイヤー』も好きだけど、この映画論の本はあんまりこの三作について語ってくれぬ。『ロング・グッドバイ』はまだ観てない。DVDは持ってるので、本書をよく理解するために観ようと思った。その前に難波のTUTAYAから借りてきた五本のDVDを観ようとした。もちろん『古井由吉自選作品集1』はまだ読み終わっていない。小川国夫、磯崎憲一郎、後藤明生の本は存在すら忘れている。そうして積ん読が増えていく。借りてきた五本のDVDは観た順番に『ブコウスキー・オールドパンク』『ゼイリブ』『新・平家物語』『女と男のいる舗道』『隠された記憶』ブコウスキーのドキュメンタリーは、キレたり泣いたりするブコウスキーが元気いっぱいに画面に映っていて、こんな感じなのか、イメージ通りだなと思った。『ゼイリブ』見事見事あっぱれじゃ。という気持ちになる。オモロくて。『新・平家物語』何を観ても溝口健二はもう外れなし日本一や。黒澤明よりも感性にビンビキビンに刺さる。脳髄に来る。溝口健二は。『女と男のいる舗道』女がかわいいし、お洒落感はあるけど正直おねむ。一回寝た。なんであんなにクソ眠いのか。オモロくないように作ってるのか。『ゴダール映画史』の女と男のいる舗道の回を読み返したら何か良いことは言っていた。形式と内容について・・・でも何言ってたか今は忘れた。理屈をダラダラ言ってる本は、知能の低い自分は瞬時に内容を忘れる。ゴダール映画史は、スピルバーグもルーカスもイーストウッドも馬鹿扱いで、本当にゴダールはムカつくハゲだなと思う。このあとなんとなく『山頭火句集』を再読。

〈何が何やらみんな咲いてゐる〉
〈まっすぐな道でさびしい〉
〈すツぱだかへとんぼとまらうとするか〉

話は全然変わるが、最近はツイッターを観たくない。人の撒き散らす屈託も、人のとても嬉しかったことも、結局、心に引っ掻き傷を残していくだけである。クソ地獄だ。世間のことなんか触れたくない。サブカル系の漫画家にも思われたくない。サブカルという言葉は時代遅れなので完膚なきまでに粉砕したい。自分がまっすぐな道を歩くと簡単にサブカル系と分類される。読んだ観たものは、サブカル系と分類されしモノが多く、描いてる雑誌もそうだ。だが、正味おれ自身はそんな奴じゃねえ。疎外感しか感じない。憧れもない。銀のスプーンを握って生まれて来てねえ。俺じゃねえ。そんな奴じゃねえと気づいた。サブカル系と言われることに満足してるようなお洒落な奴らが、地獄の門に幽閉されたデーモンの集団に見える。なんて恐ろしいんだ。ダサい田舎のマイルドヤンキーの集団の方がマシだ。陽キャとか、リア充の方がマシだ。そんな気持ちのときに山頭火を読むといいのである。
『隠された記憶』ハネケの映画は画面にツルツル感がある。ありますよね。毎回あのツルツル感が薄気味悪いと思う。会話のキャッチボールの微妙な噛み合わなさ加減が、快い不如意。カフカの小説の会話をそのまま映像にしたよう。ハネケの映画は、どういう了見やという奴の瞳が毎回美しくて吹く。『ファニーゲーム』もしかり極悪を胸に抱えた人の瞳が、穏やかで澄んでいるのはオモロい。
ところで直球で「難解でございまっさ。物事を象徴したりしてまっさ」という映画を撮る人は恥を棄てていて偉い。映画も小説も何の意味も分からなくておれは結構である。おもしろいとこがチョロッとあったら、後はダラダラしとってもええわ。そんな気持ちで漫画を描くとラクい。ちなみに本業の漫画の方は全くはかどってない。
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