5月15日
漫画、絵。アルマゲドンをながら見。やっぱり、金をかけたB級映画って感じで最高。ジェリーブラッカイマー製作の映画は本当に命を軽く描く。どんどん死ぬ。さすが共和党支持だ、荒いアメリカって感じが心地よい時もある。
来週ぐらいから金曜ロードショーで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズと夢はあるけど脚本が尻すぼみだった『レディ・プレイヤー1』があるらしい。
吹替が三ツ矢版マーティーなら観たかった。それだけで価値がある。ただ残念ながらソフト版らしい。20年前の金ローの吹替はテレビ朝日版だった。
VHSが擦り切れるほど観た。5歳の頃の映画、というよりエンターテインメントの原体験だった。
5月16日
低気圧でだるいので寝る。
5月17日
漫画、絵。
政治が気になる。ワイドなショーを観て、世渡り上手になりたけりゃ沈黙することだと思う。
俺の生まれた96年は特殊で、ゆとり教育と脱ゆとり教育のちょうど狭間の年だった。
小一から中三まで、どっぷりとゆとり教育を受けた最後の世代と言われている。
小学生のとき、国から教育方針が変わるという冊子が配られたのを覚えている。不快な冊子だと思った。そこでゆとり教育が終わったのだ。クラスの中で落第点を更新し続けた俺は、ゆとり教育の失敗作だった。
過渡期なので、そのせいかたった一、二年の差なのに、歳上の人たちとの、ジェネレーションギャップが大きいと思うこともある。
少し上のゆとり世代は皆んな内向的で、自分のセカイに閉じこもりがちだ。俺もそうだった。
転勤族の自分は落伍者でよそ者だった。
そのせいでいつごろからか、自分の世代に全く馴染めないようになった。「無気力/無関心」なんてゆとり世代のレッテルに対抗し、恥をかき、貧乏で惨めな自分と向き合って、社会からハミゴにされて、のたうちまわることしか無いと思った。
漫画もずっとそのことしか描いていない。
政治について語ればめんどくさい。でもどうせ、これからもっとめんどくさい時代がくる。いい暮らしなんか、貧困層の俺には関係ない。金がねえからな。国も教育も、個性の尊重なんかも信じるな。自分を信用するな。
おれは、描くべきものが全くない最初の世代かもしれない。すべての虚構が現実を前に敗北していく。
ストーリーなんかより、人間のほうが面白い。自分の表現なんか、信じないほうが面白いもんができる世の中だ。