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大山の日記未満

日記等

『ジョーカー』と城島

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『ジョーカー』と城島

昨日、高の原のイオンでオカンと『ジョーカー』を観てきた。高の原のイオンは、

「半分奈良市で、半分京都や」

とオカンは言うていた。高の原の劇場は、スクリーンに対して高さがあった。A席とH席では、二階建てぐらいの高低差がある。自分はH席だから、スクリーンがブワッと眼前に広がる形になる。なのに、大阪の映画館より200円も安い。

田舎の映画館なので期待してなかったが、ここは、かなり良い劇場やなと思った。大阪の某映画館で、ジュラシックワールド2を観たときは、スクリーンからものっそい距離がある席で、こんなもんテレビと変わらんやないけ。と思ったことがある。

『ジョーカー』は、映画を観る前に、ツイッターで見た、ジョーカーがどっかと座る、デニーロの顔が壁に描かれた楽屋の美術の作り込みを見て、

「絵力あんなあ。期待できんど」

と思うた。久々に、ワクワクしながら映画が始まるのを待った。

『ジョーカー』は、ホアキンさんの演技、練られた脚本、演出、美術のかっこよさの、見事な三角形ができあがった傑作やと思うた。
『ダークナイト』よりすっきゃな。と思った。

というのは、たぶんノーラン監督は、映画の映像の流れ、とか動き、を最重要視していて、『ダークナイト』とか、『ダンケルク』を劇場で観たときもそう思たけど、緊張感のあるシーンをダラダラ続けるもんで、「こんなもん、おまえ。ガバガバになってまうで」と思うたもんだ。

『ジョーカー』も長回しもばんばん使っていたが、このワンカット、この瞬間に命をかけまっせ。というような監督の気合いを感じる映画であった。感情が爆発する、決定的な瞬間の連続であった。『ダークナイト』に欠けていたものを、例えば直接的な暴力描写もそうだけんど、最大限、活かして、ワシがノーラン超えたらあ!というような監督の気合いは確実に注入されとった。

ホアキンさんは、『サイン』や『グラディエーター』を観たときは、あんま印象が残らなかったが、ポールトーマスアンダーソンの
『ザ・マスター』を観たとき
「うわっこいつなんかキショいけど、演技は上手いな」
と思った。だから『ジョーカー』の特報を観たとき、こらハマり役ちゃうかと思うたがほんにハマり役であった。

『ダークナイト』のヒースも良かったが、あのジョーカーと決定的に違うのは、ホアキンのジョーカーは、全力疾走のシーンが多かった。運命と闘うために全力疾走していた。そうなるような脚本に持ってったのは素晴らしい。
なんというか、「がんばれ!」と思ってしまった。
バットマンよりええ奴やんけ、あんなもん富裕層や、今度バットマンと闘っても「殺したれ!」と応援してしまうかもしれない。ジョーカーの見方が変わってしまうで。でも『ジョーカー』はバットマンには、絶対に負ける運命を背負っているのやろか。悪役やから。それも映画を観終わったあと、しみじみ考えて、ようできたあるな。ようできたある映画や。と、帰り道、高の原の夕陽を見て思うた。

オカンが、また観てもええな。と言うた。こないだのディカプリオとブラピの映画も良かったけどな、久々にもっぺん観てもええな。と言うていた。そのあと、「城島くんの結婚した女の子、あんたの一個上やってんな。見たことあんの? 」と訊いてきた。

自分はその女を、見たことはなかった。
そもそも、あんまり大学に行ってなかったからかも知れない。TOKIOの城島は父親と同い年だ。それが、20の女に手を出すのか。想像すると

「心底キモいなとおもたな」

と言うと、母親も同意見だった。俺は

「淫行した山口にあんな怒ってたとき、自分も20の女に手ぇ出しとったんや。似たようなことしとったんや。グラドルやろ」と言った。

「なんか官能小説を書いてるらしいで」

「さすが文芸学科や。ほなら、ニッポンでいちばんエロい20歳を、城島は見つけ出したってわけだ。見事見事。あっぱれや」

おれは所詮、芸能人は屑やなと思うた。

「うわっ夕陽綺麗やな」
とオカンが言った。
「昨日もこんな感じやったで。そやけど、『ジョーカー』はええ映画やったな」

と、ジョーカーの余韻はしばし醒めやらぬ。
スコセッシへのリスペクトが、随所で感じられたのも良かった。自分がものっそい好きな『グッド・フェローズ』でも使われたクリームの『White Room』がかかる瞬間は最高だし、デニーロは、"あの顔"をしていた。たぶんあの顔をしてくれと監督に言われたんやと思う。
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