散髪が嫌いである。
大学時代の自分を知ってる人は憶えがあるだろうが真っ黒な服を着て、髪がボサボサに伸び切った風貌だった。
真っ黒な服をよく着ていたのは、
「おれは何色にも混じらへんねん」
という意気込みだぜ。と友達には語っていたが、ただ単に田舎者なのでファッションが分からんから黒ばかり着ていただけだった。
結果、驚異的にダサかった。
逆に東京育ちの奴はなんとなくお洒落だった。自分は東京育ちの奴に対して、
「ほなら逆にな。ワシら大阪のダサダサパワーをな、むしろ押し出したんねや」
というような、訳のわからん悲しみに似た意地もあった。
それはいいとして、実家に帰ると髪を切れ不精者、ビンラディンの様な髭を剃れ。と言われるので、そのときに仕方なく行くのだった。親父の行きつけの美容院に二人で行ったことがある。そこは20代の若者が多く働いていて、おしゃれな雰囲気だった。髪を切るだけで五千円もかかる。
自分はなぜか、美容師に漫画家であることがバレていた。親父が友達の美容師に話していたのだ。親父は自分と違い、コミュ力がある。
「へ〜漫画家さんなんですか。どこで描いてるんですか?ワンピースとかナルトみたいな感じですか?」
と若手の美容師にきかれた。自分は
「いえ、ガロ系っぽい作風です。ガロ系、分かんないですよね。60年代に学生運動の若者などに多く支持された『月刊漫画ガロ』という雑誌がありまして、有名な漫画に水木しげるの鬼太郎もあったし、いや、ゲゲゲじゃないですよ。夜話の方で、ありまして、あと蛭子能収、この人は80年代ですが…いや、60年代と80年代ではカラーが全く違うんですが、誰でも知ってる有名人だと蛭子能収とかみうらじゅんがガロでデビューしています。とくに最近の若者はあまり知らないのですが、いや、ぼくも最近の若者なんですが、高名な漫画家でつげ義春という人がいまして、いや、この人は60年代ですが、その人にいちばん僕は影響を受けていて、とにかく自分では受けているつもりですが、さっきもガロ系っぽいといったのは、ガロの熱心なファンからすると、大山は全然ガロ系じゃない!とよく言われるからですね。
ほんで、そのガロの後継でアックスという雑誌がありまして、いや、『ガロ』は厳密にはまだ存在するんですが、もう全く別物で、まあ詳細は調べて下さい。興味ないか、ハハハ。ほんでそのアックスが、正直、売れてなくて、だからその辺の本屋じゃ売ってないですよ。難波のジュンク堂まで行かないと。
で、結局、どんなストーリーの漫画描いてるかってことですよね。簡単に説明すると、江戸時代の惨殺された女が、市松人形と合体して、現代に蘇って童貞の大学生とロックバンドする話なんですが、その女は、月が出ると、元の美人な姿になるんですよ。そういう容姿やマイノリティがテーマ、テーマというか、テーマは無いな。ロックな漫画が描きたくて、てか、ロックな漫画だぜ!とやたらと吹聴してますが、正直パッションで描いてまっせという感じを出すことで、技術がないことをゴマカシとったんですね。パンクってそんな感じでしょ。まあ、そんな側面がある漫画をかいています。」
と、ここまで頑張って説明すればいいのだがメンドくさいので
「いや気持ち悪い漫画ですわ」
とボソッと答えた。
「へ〜。どの雑誌ですか?」
「アックスです。」
「へー。アックス、アックス…」
と、この若者は聴きなれない単語を反芻して
そのあと漫画の話はブツっと無くなり、美容師の「いまぼくモンスターハンターにハマってンすよ」という話題に変わった。
それ以来、実家からいちばん近いザ・床屋みたいな所で、1500円で髪を切っている。そこは全然、話しかけられないから行っていた。
こないだ行ったとき、矢沢永吉好きのオッサンみたいな人に当たった。
「どれ位の長さで?」
とオッサンに訊かれ
「えーとですね。前髪を2センチぐらい切ってですね」
と、自分なりに、「えーとですね」を多用しながら頑張って伝えていたが、
「ななななんて?」
と聞き返されてしまった。
「えーとですね。2センチで」
「2センチゆうたら、相当やで」
「えっ。ほんなら1センチ位ですかね」
「眉毛にかかるくらいか?」
「そんなもんですかねー」
とやりとりがあり、嫌な予感がしていたのだが、結果、完成した髪型は小学三年生というか、ゲームの『ぼくのなつやすみ』の「ボクくん」みたいな髪型になっていた。
オッサンは
「いやぁすっきりしたやろ。自分、めっさ髪長かったもんな。あかんであれ。髪長いとな、切りにくいねん。分かる?」
「いや、分からないですね」
「やろ。長すぎるとな、毎回切るたびにスタイル変わるからな。しょっちゅう来なあかんで。男前やのに、勿体無いわ。切るときなったらな、電話したるわ。自分の電話番号知らんけどな」
「そうなんすか!」と言いながら、鏡に映った自分を見て「こんなもんボクくんやん」と思っていたが、自分はまったく腹が立たなかった。どんなにアホな髪型になろうが、どうせ家でジッとしているだけである。奈良では誰に会うこともない。誰に会うことも無いから、自然に服も毎日、ジャージになる。外出もジャージである。
数日後、ジャージでなにとなく奈良市立図書館へいった。
図書館へ向かう途中、猿沢池のベンチで、パンチパーマで茶色のシャツに下ジャージのオッサンと、真夏なのに全身黒で、グラサンをかけたXJAPAN、Toshi風の男が一緒にチューハイを飲んでいた。
Toshi風の男は、まっすぐ興福寺五重塔を眺め微笑していた。オッサンは五重塔というか中空を眺めていた。爽やかな風が吹いていた。鳩とか亀も二人に集まってきていた。自分はなんじゃこいつらと思いながら横を通りすぎて図書館に向かった。
図書館は四階建てのビルで、窓から興福寺が見える贅沢な眺めである。
自分は盆暗低学歴といった風貌であるものの、心はフランス・ブルジョワジーなので、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集などを「いいジャン」とか言いながら鷹揚とパラパラ眺めていた。
終日、時間を潰し図書館を出た。
そのあと、曇天の下をぶらぶら歩いていたら急に
「ぼかぁ糞袋だなぁ」
と加山雄三のように、しみじみ思った。
「ボクくんみたいな髪型で、ぶらぶら働かず、彼女もできず」
と考えていくと、大学を意味も無く中退したこととか、デート中ずっと鼻毛が出ていたことを飲み会で暴露され全員に爆笑されたことなど、残念な記憶が波のように襲ってきた。急速に落ち込み、圧し殺すように
「クソやなマジでッ」
と呟いたりしたが、すぐに
「若き日の町田康さんにもこんな時代あったやろ」
と考えることにした。いつもの常套手段である。これにより微塵も現状を省みず、現実に向き合わず、まあ何とかなるっしょ。と思うことができた自分は、肩で風を切りながら、猿沢池のほうへずんずん歩いていったのだった。