4月9日
ネームの最後の3ページで行き詰まる。
描いては消して、そのうちに6時間ぐらい経て、ぼんやりコマ割りを描いてみて、あまり納得いかないが、形にはしたものの、やはりまだ無駄がある感じがする。
絵の練習して夜の三時ごろ不貞寝して朝。本来なら3ページ終わっていないといけないところがまだ1ページしか終わっていない。
なんとなくザ・ワールド・イズ・マインを読んでたら、あれ、モンちゃんのモデルって町田町蔵入ってるかなとふと思う。
4月10日
昼起きて、描いて夕方少し寝て、2ページ目は、後一コマを残して、絵の練習して、朝の4時になったのでモヤモヤするが明日も資料撮影に行かねばならぬので寝る。
『奈良へ』の三無という女の子が難しい。
自分は萌え絵だろうが劇画だろうが、絵柄にこだわる必要なんかサラサラないと思っている。漫画のキャラなんか、どうせみんな似通った性格の人間になってしまうし、そこに誰もツッコミを入れないなら、別にそこまでこだわっても仕方ない気もする。
自分の絵柄もキャラも個性も要らないって言って、どんどん捨てようとしても、どうせ最後まで捨てられないモノもあるのだから、自分は仏教的な描き方だと思う。逆に自分だけの絵柄を創ろうとする人は西洋的な描き方だ。
漫画を描いていて発見したのは自分は相当、仏教に影響を受けている。子供の頃に、何回も東大寺に行ったこととか、般若心経の本を読んでたとか、実家にお坊さんが来ていたとか、そういうことが凄い無意識の影響下にある。
瀬戸内寂聴のインタビューをYouTubeで観ていたら、デビュー当時、凄い顰蹙を買ってしまって5年くらい干されてたって言ってて、やっぱり俺も顰蹙を買わなあかんなと思う。
当時5歳の自分が、何故かクリスマスプレゼントに、瀬戸内寂聴の法話のCDをねだった理由が分かった。全部いまに繋がっているのだ。ダラダラダラダラ馴れ合いみたいなことしてても、何の意味もないわいなと思う。
4月11日
奈良公園は流石に人が少ない。ポケットに手を入れて歩いていると、腹が減っているらしい小鹿とか、馬鹿な鹿が、エサを持っていると思って近づいてくる。「何にも持ってへんわ」と言うと、しゅんとして向こうへ行ってしまう。(奈良の鹿はなんとなく人間の言葉が分かる)撮影を終わらせて、実家に戻り、上方漫才大賞を観ていたら、オール阪神巨人の映像が出てくる。
漫才はテンポと間だ。でもコレは漫画のコマ割りも同じだ。漫才と漫画は似ている。オール阪神巨人は漫才が上手い。前から思ってたがコンビ名の、オールの部分が意味不明やなと思う。
大賞はシャンプーハットだった。なんやそら。夜飯を喰い、日本酒を2合飲んだらやる気を喪失、頭が重いので何も描かずに寝た。