5月18日
朝方、炒めモノと買ってきたコロナビールを飲む。味は美味いけどやっぱりビールはしんどなる。日本酒がいちばん良い。
寝る。起きる。
夕方から漫画
5月19日
夜、漫画。絵の練習。
昨日、個性なんか信じるなと言った。自分が個性的だと思っていたものが、全くもって平均的であった事に、それに気づかない事があるということだった。漫画もそうで、勉強が足りないからそれに気づいていない。
それなら、今の社会の雰囲気そのまま描いた方がよっぽどマシなもんが描ける気がする。
夜は大学の後輩と話しながら漫画を描いたが捗った。話しながらの方が作業が捗る。独りの時間が長すぎると人間はむしろ散漫になる。
5月20日
無理矢理昼夜逆転を直す。
朝起きる。Twitterはみんな病んでいる。
昼ねる。
夜、漫画。
俺は、コロナ前もコロナ後も生活が全く変わっていない。だからいつも通りに、おかしな精神になっている。自分では分からない。世の中は少しはおれを明るい気持ちにさせろ。悪夢をみた。
セーラームーンの二次創作が流行っているのを知り、流行りに何の自意識もなく乗っかれる素直な人が多いことに対して、自分の捻くれた心の情けなさを実感する。
おれは界隈にコンプレックスがある。
何もかも曖昧で、分かりにくい事ばかりが流行すれば良い。大きな幸せも大きな悲しみもなく、微妙な空気感になる事ばかりが起これば良い。どいつもこいつも名前の無い感情に支配されればいい。
界隈に馴染むには、まず友達を作り、恋人を作り、家庭を築き、金を持たなければならないのか? いや、その必要は無いはずだ。楽しい経験は人並みにしたほうが良い。
そうしないと、何というか、ずっと一人だから自分は丸くなることができない。
楽しい何かをみると、無意識から一瞬でその楽しさが崩壊するような妄想が入り込んでくる。ガキが泣き、母親が叫ぶ。楽しさに慣れていないからだ。どっから湧いてくるんだ。いかれた妄想を持ちすぎているから、人は寄ってこない。人が寄ってこないから、いかれた妄想を溜め込む。
おれはいつでも未来に目を向ける。明るい未来ばかりを妄想しようとする。そうすっと、夢が最悪な惨めな経験をさせてきやがる。
いったいどういうことや。くそが!
缶切りで剥き出したおれの脳みそを田んぼに棄てればいい。意識があるままでな。タニシやどじょうが記憶をひとつひとつちぎって食べる。
夜、ビートたけしと侯孝賢の対談を動画を観る。何回観ても、子供の頃の侯孝賢が木に登ってマンゴーをもぎって食べた話が何を伝えたいのか分からない。何か表現について語るとき、よく子供時代のことを語ってしまうのは根源的なものを探っているからではないか。そこに、今後の人生観を左右する重大な事があって、それを知ることで、次のフェーズに行けると思う。自分を知ることが不可能だとしてもだ。
午前二時、まだ漫画を描いている。YouTubeに『コンバット!』の吹替版が上がっていてながら観。ながら観は字幕だと無理なので吹替はこういうとき良い。
YouTubeの女が語りかけてくる広告、滅びろ。「眠れるまで、私とお話ししませんか?」しねえよ餓鬼。生きたまま箱の中で手足を拘束され、砂漠で永遠に自分自身と話し続けろ。「全ての人に好かれる人っていないと思うんですよ」黙りな。浅え人生訓を垂れ流してんじゃねえぜ。てめえは耳にアイスピックをぶっ刺され、平衡感覚を失い種牛のマンコに顔突っ込んで窒息するに値する。
どいつもこいつもクソだ。屹立するクソ山脈に、おれは慄くばかりだ。かすり傷だらけで心が死ぬ。首相も大統領も教祖も漫画家もグラビアアイドルも高学歴も低学歴も平等に畜生だ。みな必死に幸せなふりをしてやがる。ポジティブなモノしか金にならねえからな。お前らはいったい誰と戦っているんだ!?
見ろ糞袋どもが競い合って、一斉に墓石に突撃していくぞ。面白き事も無き世は、面白き事も無いまま永遠にお前の前から消滅する。記憶すらな。そこは面白い。見事、見事。天晴れ天晴れじゃ。